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お洒落

石津謙介

岡山師範学校附属小学校から旧制第一岡山中学(現・県立岡山朝日高校)を経て、明治大学商科専門部に入学。スポーツ万能であるとともに流行の先端をいく遊びに長け、明大在学中はオートバイ・クラブ、自動車部、航空部などを創部した他、ローラースケート、乗馬、水上スキーなどにも興じた。また、現在の金額にして約40万円程度にもなる背広を誂え、当時最先端の流行・風俗を楽しむという学生生活を送った。

 
POPEYEの表紙などにも登場したVANのポスター明大卒業後は実家の紙問屋の経営を引き継いだが、ファッションへの造詣が深く、当時の中華民国・天津で服飾関連の仕事に従事した後、戦後はファッションメーカー・レナウンに勤務。 1951年に独立し、「VAN」ブランドとして知られる「株式会社ヴァンヂャケット」を設立。特にブレザーとボタンダウンシャツをベースとした学生のファッションスタイルを「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。さらに銀座にある「みゆき通り」をそれを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。

また1964年東京オリンピックの日本代表選手団の赤い公式ブレザーや、1966年から1968年にはサンケイ・アトムズの試合ユニフォームをデザインした。また当時、国鉄、警視庁、日本航空、ヤマハなども石津デザインのユニフォームを採用した。

1978年に株式会社ヴァンヂャケットが約500億円の負債を抱えて経営破綻(その後再建)した後はフリーのファッションデザイナーとして活動する傍ら、衣・食・住のライフスタイルを積極的に提案した。

2005年5月24日、肺炎のため東京都青梅市の病院で死去。ファッションに最期までこだわり続け、寝たきりになってもパジャマを着ることを拒絶し、三宅一生デザインのシャツを着たまま息を引き取った。93歳没。
 

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  • Author:toyosha1040